『たかさんと私』#20 その日は突然に

第16話〜あとがき

陽向総合病院に入院して約3ヶ月。ついに、たかさんの退院の日が決まりました。正確には、「このまま状況が悪くならなければ、退院できる日」というものです。

率直に、退院の日が決まったのは嬉しいことです。嬉しいことなんですが、素直に手放しで喜べない自分がいました。

入院中、膝が化膿してしまったり、入浴が延期になったりと、ここまでの道のりは決して1本道ではなかっただけに「また状況が悪くなってしまったらどうしよう」という不安もあったからです。

今の私にできることは、退院に向けた準備をしながら、毎日を同じペースで過ごすこと。自宅に戻るにあたり、たかさんの不安やストレスを可能な限り軽減することです。

そのころ病室では、二ーブレスという膝を固定する補装具のつけ外しや、自宅での過ごし方、リハビリの日程など、退院を見据えたやり取りが頻繁に行われるようになりました。

たかさんは「ぴーすてらす」には戻らず、退院後は別の施設を利用することになっています。今後の生活に必要な情報を、次の施設の職員さんに引き継ぎするのが私の重要な役目の1つです。

たかさん自身も、リハビリを兼ねた病棟内の散歩が日課になっていました。
「たかさん、歩きましょう。」
私が声をかけると、「くるまいす」と返してくれます。

…え? 歩くのに車椅子?

実はたかさん、歩行器も車椅子も両方「くるまいす」と表現するんです。歩行器で歩くので、たかさんが「くるまいす」と返すのは正解なんですが…ちょっとややこしいですね。

何度か、「ほこうき」と伝えてみましたがうまくいきません。たかさんの中に「ほこうき」という言葉は存在しないようです。そこで私は、何を思ったか歩行器を指差し「トーマス」と伝えてみました。

するとたかさん、「トーマス」をバッチリインプット! 時間をおいて歩行器を指さしても、トーマスと答えてくれました。

次に、病室においてある車椅子を指差し、

「たかさん、これは何ですか?」

と聞いてみました。すると、

「くるまいす」

と答えてくれたではありませんか。これはファインプレーじゃないでしょうか。歩行器と車椅子を明確に分けて伝達できるようになった瞬間です。

それ以来、「たかさん、歩きましょう」と声をかけると、「トーマス」と返してくれるようになりました。

私とたかさんにしか伝わらない事なので、支援上それが正しかったのか正直疑問ではありますが、彼との距離が少し縮まった気がして温かい気持ちになりました。

そして、退院の日が近づいているということは、たかさんと私のやりとりが終わってしまうということでもありました。本当の本当の、本当の気持ちを素直に書いて良いのなら、退院は嬉しいけれど、1%だけ素直に喜びきれない自分がいた、というのが正直なところです。

たかさんと私、次回がいよいよ最終回です。


▶︎ 次回(最終話)へつづく

#最終話 それはゴールではなくリスタート


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#19 たかさんは愛されている

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