私は、生活介護事業所『ぴーすてらす』で働く生活支援員。現在、施設で怪我をしてしまった鷹さんへの支援として、病室での付き添い業務を行っています。
たかさんは物の置き場所に関するマイルールが多いです。特に「あるはずの場所にない」ことや、「ないはずの場所にある」ことが苦手なようです。
付き添いを始めて間もないある日のこと、たかさんが病室の壁のほうをじっと見ています。しばらくすると、何かを指さして「あ〜!」と声を出すようになりました。何かを訴えていることはわかりますが、詳しい内容を汲み取ることができません。
彼が指をさした方向にあるのは、移動式の机に置かれたペン立て(箸やスプーン、歯ブラシなどが入っている)、お茶の入れ物、ガーグルとコップ…。
パッと見て新しく増えたモノはありません。何かをしてほしいことはわかるけど、何をしてほしいのかがわからない。これが、たかさんとのコミュニケーションで最も難しさを感じるところです。
しかし、ここでたかさんがファインプレー。「歯ブラシ」と伝えてくれました。
ですが歯ブラシも新しくなったわけではなく、置き場所もいつもと同じ…いや、いつもは右に立てかけてある歯ブラシが左に立てかけてありました。
まさかと思いつつ、右に立てかけ直したらピタリと落ち着きを取り戻しました。
瞳は「そう、それが気になってたんだよ。ナイスだぜ」と語ってくれているようでした。
たかさんは右膝を骨折しているので、リハビリの時間以外は基本的に安静です。…とはわかっていても、ベッドから無理やり体を起こしてでも気になるものを何とかしたい人、それがたかさんです。そして、たかさんの安全と安心のバトンを、ご家族さんにつなぐのが私の役目です。
もう1つ、たかさんのマイルールについてお話しましょう。
たかさんが入院している病院では、朝夕にお茶が配られます。500ミリリットルほど入る円筒状のタッパーで、取り外しができてパチッと閉まるフタが付いています。
たかさん、このフタが「パチっと閉まっていてほしい」んです。少しでも蓋が開いていると「お茶、パチっと閉めて」と伝えてくれます。
ですが、お茶は熱いので、しっかり閉めると中の空気が膨張してしばらくするとフタが開いてしまいます。それに気づいたたかさんが声をかけてくれます。
たかさんの特性上「冷めるまで待って下さい」や「開いていても大丈夫です」という声かけをインプットすることは極めて苦手です。
冷めるまで見えないところにおいておく方法もありますが、一度目に入ってしまうと「気になるモード」を切り替えるのも得意ではありません。そのためここは、徹底的にお付き合いする一択です。
閉める、開いてしまう、「お茶、パチっと閉めて」、閉める、開いてしまう、「お茶、パチっと閉めて」という無限ループの突入です。
(アニキ! 物理の法則は無視できねえッス!)
(何言ってるんだ! 何度でもトライするのが男のロマンじゃないか!)
という魂の叫びによるやり取りがあったかどうかはさておき、お茶が冷めるまでパチっと閉めては開いてくるフタと格闘する、たかさんと私でした。
こんな具合で、ありとあらゆるものが気になってしまうたかさん。ストレスに比例するように、気になるものは増えていきます。10日ほど経った頃、「気になってしまう」という行動が顕著に現れる出来事が起こりました。
その日も何か気になるものがあったのか、机の方を指さして「あー」と声を出して話しかけてくれました。
指をさしている先には箱ティッシュが1つ。「置き場所を変えてほしいのかな?」と考えましたが、場所を動かしても収まる様子がありません。
「ティッシュ使いますか?」と聞いても、「いらんの!」と返ってきます。
対象はティッシュで間違いなさそうです。たかさんの今までの行動を思い返し、脳みそフル回転で考えます。そして、たった1つ思い浮かんだことを試してみました。
箱から出ているティッシュの角度を真っ直ぐにする。
自分でもまさかと思ったんですが、やってみたらピタリと収まりました。たかさんも、言葉にならない言葉で語り合った充実感で満足そうでした。
(コレ!? たかさんコレが気になるの?)
(そうさ、これからもティッシュは真っすぐで頼むぜブラザー)
程なくして、疲れたのかウトウトし始めたたかさん。
私はベッドで横になる彼にむかって、無意識に語りかけていました
「貴方に世界はどう見えているの?」
私が見ている世界と、相手が見ている世界は違う。自分の世界を基準にするのではなく、相手の世界の見え方を知れば、通じあえるものがあるかもしれない。これが、今の私が誕生するきっかけになった出来事です。
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